Studio of Martha Jungwirth, 2019; Courtesy Ulrike Docker

マーサ・ユングヴィルト(1940年生まれ)は1956 年、ジャクソン・ポロックが自動車事故で命を落とした年にウィーン美術アカデミーでアートを学び始める。1963年に卒業する頃には2つの大きな美術運動が始まっていた。一つはウィーン・アクショニズムと呼ばれる暴力性とタブーを伴う(transgressive)パフォーマンスを展開した運動であり、多くの支持者を得ていた。一方、抽象表現主義、アンフォルメル、タシスムといった様式に見られたオートマティスム、表現主義、自発性への注目は薄れ、代わりにアートシーンではカラー=フィールド・ペインティング、ミニマリズム、ポップアートなど感情を排した「クール」な作品群へフォーカスが映り、そしてそれも後にコンセプチュアル・アートに主流の場を明け渡すことになる。

1970年代のコンセプチュアル・アートの興隆は「絵画の死」という考えをさらに広げることになる。世界中で起きる劇的な変動は次々と美術の世界の風景を組み替えていき、オーストリアではアクショニズムに関係するアーティストたちはウィーン幻想派と対立する形で活動を続けた。そのような状況下、ユングヴィルトは独自の道を歩み始める。孤高の追求を続けた彼女は戦後ウィーンで、そして− 本来ならばそれがもっと認知されるべきであるが−全世界で、唯一無二の地位を獲得することとなる。

ユングヴィルトが他にない地位を獲得したのは、特徴的なスタイルやイメージを作り上げてそれを発展させたり、国際的認知を得ていたミニマリズムに自身の作品をつなげるなど、すでに誰かが行ってきた様な戦略を立てたからでは無い。その理由はむしろ、何がイメージを構成しているのか −映像や川のような流動的視覚情報に対して、私たちが静的と考えているイメージとは一体何なのか − という深く、そして終わりのない疑問を追求し続けたことにある。さらにはその探求が、水彩画という評論家が副次的としか考えない技法を通して行われた事にも理由があるだろう。これはユングヴィルトが鑑賞者、そして評論家に提示する大きな挑戦の一つと言える。

Oskar Kokoschka, Third Fan for Alma Mahler, 1913. Quill in black ink with watercolour on un-tanned goats leather, mounted on ebony, 8 1/2 x 15 3/4 inches (21.5 cm x 40 cm) © 2019 Fondation Oskar Kokoschka

もう一つの彼女の反逆は、作品の主題から見つけることができる。ユンヴィルトは彼女が「理由づけ (pretext) 」と呼ぶ物事を起点に制作を行う。それは実際に目の前にいる人物や、過去に窓の外に見たある物、さらに詳しく言うと、オスカー・ココシュカがアルマ・マーラーのために絵を描いた扇、トルコで失敗に終わったクーデターを記録した新聞写真、ギリシャ神話と神話が様々な形で表現されているという彼女の知識、カンボジア旅行の思い出などである。そして「理由づけ」がどのような物である時も彼女は、視覚的刺激が認識できるイメージとして合成され、固定される前に存在する知覚領域を見つけ出すことを望んでいる。多くの場合、特定のモチーフから制作をスタートするが、そのモチーフを結論のない予想ができないプロセスに晒すのだ。彼女は鑑賞者が作品の像を消費し、処理してしまうことを望んでいない。

このような哲学的な示唆は彼女の知覚への絶え間ない考察のために不可欠であり、また本来ならもっと早くに評価されるべきであった彼女が、どうして近年になるまで注目されなかったのかを明らかにしてくれる。女性であるという要因ももちろんあるが、私が最も大きいと考える要因は屈強で厳格な彼女の制作態度と、各時代の美術世界の流行に彼女の作品が影響を受けていないことだ。自らの好み、衝動、真実に向かって一心に突き進む女性アーティストが美術の世界で認められることはほとんどない。アリス・ニール、ルイーズ・ブルジョワ、ジョアン・ミッチェル、リー・クラスナー、ジョイス・スコット、マリア・ラスニックのように、彼女たちの才能は往々にして遅くに認められるのだ。彼女たちは1人として、成功するための正しい選択を行わなかったことを再確認する必要もないだろう。彼女たちはみな、何十年にもわたり無視され、切り捨てられてきたのだ。

広く知られるユングヴィルトの独立宣言「the ape in me (私の中の猿、1988年)」iは次のようなリストで始まる。

私の中の猿

方法:太古の頭脳へ、感覚運動(senso-motoric)へ回帰する

言葉が話されるより前へ

感知の前へ

記憶の前へ

対象という妨害より前へ

直線が消失点で交わるというユークリッドよりも前へ

考えずに描く

ユングヴィルトの中の「猿」は鉛筆、色鉛筆、黒鉛、パステルクレヨン、チャーコール、オイルパステル、ペンとインク、水彩、段ボール板に油彩、紙、帳簿シート、キャンヴァスにマウントされた紙を使う。もしも彼女がルネッサンス時代に生まれた伝統的で、支持体の表面に準備処理が必要なキャンバスと油彩という媒体を使っていたならば、「ユークリッドよりも前」という時代、「考えずに描く」というコンセプトに忠実ではないと言われるだろう。また、水彩と吸収性の高い紙、段ボールボードを使うことで、描いた痕跡を上から覆い隠すことができないという事も彼女は理解しているのだ。

Studio of Martha Jungwirth, 2019; Courtesy Ulrike Docker

ユングヴィルトの宣言には、趣味の良さとトランスグレシブ・アート(transgressive art)の両方に対する断固たる抵抗がみられる。トランスグレシブ・アートは美術の世界で擁護され容易に理解ができてしまうグループに体系化されていた。1960年代に始まり均質化されたこの運動がありふれたものとなっていたのに対し、ユングウィルトは鑑賞者が彼女の作品の中に確実で保証された理解を求める事を許さなかった。商品化されたような具象、抽象の形式にのぼせ上がった美術の世界の中で、規則化された作品への解決方法を彼女は拒否した。現実も感覚も、均整のとれたものではないのだ。絶え間ない状態の変化、流動する思考と感情、雑然とした出来事にたいして忠実であり続け、なおかつ美術作品を続ける事は可能なのだろうか。

ユングヴィルトが執筆家のハンス=ピーター・ビップリンガーに話していたように、彼女は「ぞんざいで、まるで偶然できたような」iiものを好む。これは単に美学的な態度についてだけではない。水彩を使用する彼女は、一度描いた跡を消すことができない事を理解している。全ての絵の具のたまり、しずく、点、しみ、染まりはそこにあり続ける。紙が全てを吸収して維持する。この行為を消すことができないという事実は彼女の作品の中核をなしているようだ。コントロールは幻想でしかない事を認識した上で、ユングヴィルトはブラシに絵の具を染み込ませ、境界線がなく制御されないまま、滴らせ、描いていく。時には指に絵の具をつけたり、スポンジで絵の具を広げたりする。その活動は直接的で物質的であり、身体を巻き込む行為である。このプロセスを通し、彼女は混沌を助長はしないが、その存在を否定することもしない。この綱渡りのような道を進んでおり、また彼女が歩む危うい道はこれだけではない。

彼女の水彩画と油彩画は、言語の直感的に名前付けを求める性質を押し返す領域に存在している。この領域に到達するためには、イメージを簡単に判別できる範囲から押し出し、具象と抽象の境界を溶かしてしまう必要がある。重なった群れ、形、跡は透明、不透明、その中間にあり、また意図されたようにも偶然そのようになったかのようにも見える。多くの場合、そのどちらなのかを判断することは難しい。全ては紙や段ボール板の物理的な縁により定義される平面の上に配置される。彼女はオールオーバー・ペインティングに関心はないのだ。

色使いもまた、彼女の作品の本質を形成している。どの素材を使うかによって、固いままであったりまだらであったり、半透明であったりする。色彩は深く根付いた、まるで動物のような力を持っており、何かを感情的に連想させる。例えば赤は血、生肉、火と読み取ることができ、黒は死や減衰を意味する。黄色や他のいくつかの色は太陽を思い起こさせ、緑は自然界の基本的要素を私たちに考えさせる。しかし彼女の色使いはこれよりさらに特徴的だ。ピンク、カーマイン、フクシャレッド、バイオレットを特に好み、上記した色に加えて自由に使っている。時に透明な形としみが、定義と散漫の中間に浮かぶ。またある時は、ユングヴィルトが、これらの色が持つ官能的、身体的な刺激を、その物理的境界を超えて、彼女の目の裏側に流れ込ませようとしているように感じる。

Martha Jungwirth, Untitled, 2017. Oil on paper mounted on canvas, 51 1/2 x 89 inches (131 x 226 cm) © Martha Jungwirth

彼女の使う紙、包装紙、段ボールの吸収性の高い表面はベルギーの麻とは全く異なる。目の前に存在しているのは美術作品なのだと私たちに知らせるサインを彼女の作品は否定しており、彼女はそのような一般的なサインから制作を始めることに興味はない。時に茶色の段ボールはまるで道端や工場のゴミ捨て場にあるもののようにも見える。けれども彼女は、その工業的な見かけに執着はしない。彼女は使用済の罫線が引かれた帳簿シートに水彩を描いたこともある。社会が常に押さえ込もうとする、私たちはみな違う見方をしているのだという根源的な孤独さは、彼女の制作活動において作品の中核を成している。社会には、それが美術の世界であっても、整合性が必要とされているのだ。

彼女の描く「肖像画」の頭部はまるで様々な圧力に耐えているかのように見える。形はぼかされ、薄まり、部分的に拭き取られたり、網目状の線と絡みあったりしている。頭のような形はまるで不穏な変容、劣化をたどっているようであるが、鑑賞者にはそれが何なのかは説明されない。この崩壊しつつある状態は私たちが避けることのできない未来を示しているのだろうか。そのような単純なことではないだろう。ユングヴィルトの作品は簡単にまとめることができないのだと私は考える。簡単に捉えられ、記憶できるイメージで、鑑賞者に作品を探求する事から解放するような事を彼女は望まない。私たちが彼女の作品の中に見るのは不可逆な変容状態にある形なのだ。それが意味するものは、動きや記憶のかけらなのかもしれないし、または全く異なる名前をつけることのできない物事なのかもしれない。

アメリカで初となる展覧会のためファーガス・マカフリーと作家は、1983年から2017年、35年の間に制作された作品群から作品を選んだ。もっとも初期の作品、『Bride of the Wind(風の花嫁)』シリーズ(1983〜1989年)の水彩作品は高さ4フィート(122cm)弱で長さが10フィート(305cm)と、横幅が高さの2倍以上ある。この挑発的なタイトルはオスカー・ココシュカの絵画《Die Windsbraut》(1912〜1913年)と、彼がアルマ・マーラーに贈った7つの扇のうちの3つ目に由来する。英語ではタイトルは《The Bride of the Wind(風の花嫁)》《Tempest (テンペスト・嵐)》《The Whirlwind (疾風)》とも訳される。

Oskar Kokoschka, Die Windsbraut (The Bride of the Wind), 1913. Oil on canvas, 71 × 86 3/4 inches (180.4 × 220.2 cm). © Kunstmuseum Basel; Photo: Kunstmuseum Basel, Martin P. Bühler

ココシュカは最近夫を亡くしたアルマに出会った1年後《The Bride of the Wind》を完成させた。夫は1911年に亡くなったグスタフ・マーラーであった。ココシュカとアルマが熱烈な恋愛関係にあった3年間にココシュカは7つの扇に絵を描き、誕生日やクリスマスプレゼントとしてアルマに贈った。4つ目の扇には性的なシーンが描かれており、後にアルマと結婚することになるヴァルター・グロピウスが嫉妬のあまり火に投げ込んだ。そのため現存するのは7つうち、6つである。ココシュカが「絵画の言葉によるラブレター」と語ったそれぞれの扇は、構成として3つの光景に分けられる。2人のイタリア旅行を記念して作られた3つ目の扇の、真ん中の部分が《The Bride of the Wind》のインスピレーションになっている。扇には裸で横たわり優しく抱擁し合うココシュカ自身とアルマが描かれている。背景には炎と溶岩を吹き出すベスビオ山が描かれる。扇よりも男性主義的な絵画の中では、アルマ・マーラーはココシュカに向かい横向きで安らかに眠り、ココシュカは眠る事ができず暗闇を見つめている。

扇の何が、熱心に作品に取り込むほど彼女の頭を占め、心を掴んだのか。過剰なシンボリズムを揶揄することは簡単な事だが、彼女はそんな事をしていない。多くのポストモダンの作家がそうしてきたような、皮肉に満ちた引用、パロディー、無意味な複写を行う事は拒否している。制作プロセスの中、唸る火山に見守られながら男女が抱き合う、柔らかくエロチックな描写に彼女は心をひらいた。

紙に描かれていたということもあり、ユングヴィルトは絵画作品よりも扇に感化されたようだ。しかしココシュカの繊細な扇とユングヴィルトの大きくエネルギーに満ちた作品には多くの異なる点がある。その一つは、ココシュカのインク・ドローイングが制御されている点だ。この作品はアルマが彼の元を去り、ストロークが掻き乱れたものになる1915年より前に制作された。

もしこの作品群の「理由づけ」となる人物がいるとしたら、それはアルマである。形とその消滅の間の緊張、紙に吸収された跡の静止と引き伸ばされた身振りのしなやかなリズムの間にある緊張が鑑賞者に疑問を抱かせる。絵の具の跡の混乱の中に絡みこまれた何かの形があったのだろうか。どこまでがその形で、どこから消滅が始まるのだろうか。その形は1つしかなく、全て同じものなのだろうか。ここには2つの身体が描かれているのか、1つしかないのか。その身体はのたうち、かがみこんでいるのか。紙の横幅いっぱいに引き伸ばされた絵の具の跡は頭なのか、または開いた口なのか。またはその一部分なのか。完成しているのか未完成なのか。それぞれの作品が異なる反応を観る人に起こさせ、異なる種類の疑問を起こさせる。

Martha Jungwirth, Untitled (from the series ‘die Windsbraut’), 1983-84. Watercolor on paper, 47 x 100 5/8 inches (119.2 x 255.7 cm) © Martha Jungwirth

ユングヴィルトの作品は私を問いかけへと連れて行く。私は、目にうつるものと、生まれ持つそれに名前をつけたいという欲望の間で自分が踊っているのを観察することになる。そしてそれは、対象とコンテクスト(文脈)の間のダンスにつながっていく。もし今見ているものが性的なものなのだと考えると、それは私たちがいかにそれを感知するかに影響を与えるのだろうか。もしそれを自然の力を喚起させるもの、「風の花嫁」だと考えると、感知はどう変わるのだろうか。この2つの視点は違うものなのか。もしそうなら、どのように違うのか。

アーティストが「言葉が話される前」に存在することを望んていると分かっていながら、言葉に回帰してしまう、これにはどのような意味があるのか。言葉と言葉の前、この断層線がユングヴィルトの作品が存在する領域なのだ。作品に向き合い続けるために、私たちは自分が体験していることを言葉に要約し、名前をつけようとする試みに注意しなければならない。全く異なる素材性を主張する水彩と油彩のどちらにおいても、ユングヴィルトは熟練の技を見せようとはしていないのだ。

30年以上後に制作された『カンボジア』シリーズ(2005年)の水彩画と、2017年制作の紙の油彩画もやはり、ものと経験に名前が付けられる世界の安心感を私たちには与えるつもりのない彼女の姿を伝えている。時には描く途中で支持体をひっくり返し、絵の具の雫を重力に逆らい上に登らせる事で、方向感覚と空間感覚の喪失を引き起こす。時には表面にブラシを縦と横に引きずり、フォルムを集約させ、また断絶する。一方で不揃いなダンボール板の縁は、私たちの作品の感知の仕方を、またしても複雑なものにする。そして色の問題、茶色の表面の上に配される血肉のようなピンクとバイオレットの問題もある。

このどうにも「観ること」ができそうもない状態こそが、ユングヴィルトが到達しようとしている地点なのだ。世界に名前をつけ、飼い慣らそうとする私たちの強欲に彼女は問いを投げかける。ヘラクレイトスからマーティン・ブーバーまで多くの哲学者が理解した通り、名前づけは一種の所有である。ユングヴィルトは所有することもされることも拒絶する。これが彼女の「風の花嫁」を捕らえきれない理由なのだ。

i マーサ・ユングヴィルト著、雑誌「protokolle」(1988)掲載
ii 2012年6月ハンス=ピーター・ビップリンガーとの会話