展覧会について
ファーガス・マカフリー東京は 10 月 15 日(木)より、マシュー・バーニー、キャロリー・シュニーマン、白髪一雄、田中泯による四人展を開催します。
本展は各世代を代表するアーティスト4名による作品を一緒に展示する初めての機会となりま
す。作品がみな作品制作という行為を強く意識させる本展は時代、東西を超えた「身体性」に
ついて考察します。究極の「アクション・ペインティング」と言える、白髪一雄による 1955
年のパフォーマンス・アート《泥に挑む》(1955 年)はダンス、パフォーアンス、絵画、彫刻が
交差する作品の原点とも言えるものでした。現在は記録として残るのみであるこの作品は、表
現のツールとしての身体をアーカイブ化することの重要性、そして時間と空間という非物質的
で可変的な要素を捉える必要性を予見するものでした。このパフォーマンスは白髪に続く世代
にとって非常に重要なインスピレーションの源となります。白髪一雄、マシュー・バーニー、
キャロリー・シュニーマン、田中泯の作品を通し、創造を望む作家たちの衝動から生まれる身
体のエネルギーと、それをいかに記録するかという挑戦の軌跡が明らかとなります。

4名のアーティストによる作品を一堂に展示する本展は、すでに確立されていた形、物質、構
成についての美術史的解釈に挑む革新的なビジョンを組み立て、ダンス、パフォーマンス、絵
画、彫刻を通して現される人間の具現化における共通言語を発掘していきます。バーニー、シ
ュニーマン、白髪、田中はそれぞれの多様なアプローチでパフォーマンスを行い、動的な身体
性についての個人的な哲学を体現し、そして身体を手段とすることによって、ピエール=フェ
リックス・ガタリが 1984 年に田中へ宛てたオマージュで記した「物語という筋書きの向こう
側の 器官なき身体。」を達成しています。
キャロリー・シュニーマン|《Up to and Including Her Limits》に関する記述
1975年、私は絵画、映画、ビデオのある種の変位に集中していた。《Up To And Including Her Limits(ロンドンでの初期作品は《Trackings》と呼ばれていた)》は、1973年から1976年まで私を夢中にさせた、スーパーエイトの日記映画 「Kitch’s Last Meal 」の物理的な延長線上にあった。当時の私の疑問:芸術家としての私は、日記映画の日常性の中で、より現実的であったのだろうか。
In 1975 I was concentrating on certain displacements of painting, film and video. Up To And Including Her Limits (earliest version in London called Trackings) was also a physicalized extension of the Super 8 diary film “Kitch’s Last Meal” which preoccupied me from 1973–1976. My questions then: Was I, as an artist, more actual in the dailiness of the diary film — assumed active in the labor which produced the film and was also as film’s subject?

フェリックス・ガタリ|オマージュ1984
田中泯
闇のイルカ
日本の奇跡の足の下に
感覚のもうひとつの境界線を画した
彼の禅の炎。
工業というアイデンティティのこちら側の
物語という筋書きの向こう側の
器官なき身体。
Min Tanaka
A dolphin of the darkness
At the feet of the miracle in Japan
Draws a boundary line of sensations
his flame of Zen.
On hither side of the identity called Industry
on the thither side of the outline called Story
a body without organs.

“The types of characters that I gravitate towards, the types of icons, tend to have a heavy physicality.”
—Matthew Barney
マシュー・バーニー|拘束のドローイング9
船と主人と西洋客人。産みの苦しみ血を伴うも。
大経綸の条件なるか。一こま一こまにすべてあり。
血潮の温かき陸棲客人。目指せ南海。息吹き新たに。南極の主人。
船も誇らか。客人鯨は帰りゆく。
マシュー・バーニー
ホログラフィック・エントリーポイント(上田邦義訳)
Vessel, host occidental guests,
To pattern, come blood, giving form.
Holographic condition,
The whole in every part.
Warm blood, terrestrial guests,
Take to the southern sea, breathing.
Antarctic host and vessel, proud,
Cetacean guests returning.
Holographic Entrypoint by Matthew Barney

白髪一雄|思うこと(1955年)
頭の良い人間は考えて冷くやる、僕のような男は気力でやろうと。
思いついたら結果なんか考えるいとまも持たせず実行して、しゃにむに今までくっついてた僕のためらいを一まとめにまるめておっぽり出したら良い気持ちだろう。
Clever people think and do things with a cool head.
Then, somebody like me will use mental energy [kiryoku].
How exciting it will be if I can immediately put an idea
in practice, as it comes to me, without worrying about
the result—throwing all of my past pesky hesitation
out of the window.
