このインタビューはSculpture Magazineの2020年5月/ 6月号に最初に掲載されました. こちらのウェブサイトをご参照ください。 (英語)
美術界の象徴的な人物像の姿を捉えた肖像彫刻と、歴史的傑作の精巧なリメイク作品で知られるバリー・X・ボールは、洗練かつ繊細な作品で過去と現在をダイナミックに結び付けています。コンピューター技術と計り知れないほどの時間の手作業によって、彼は貴重な石を寓意的な芸術の非常に表現力豊かな彫刻作品へと変えて行きます。 3Dデジタルスキャン、仮想モデリング、ラピッドプロトタイピング、コンピューター制御のフライス加工など21世紀の技術と、伝統的な手彫りと研磨の手法により、切り出した石の粗いブロックを肉体的で具象的な彫刻に変貌させます。多くの場合、1つの作品を実現するのに何年も取り組んでいるというボールは、想像力を駆使して宇宙時代の手法を使用しながら、ルネサンスの巨匠のように力強いアートを作り上げます。
1990年代から現在に至る、彼の彫刻作品を概観する「バリー・X・ボール:リメイキング・スカルプチャー」は、2020年4月19日**までアメリカ・ダラスのナッシャー・スカルプチャー・センターにて展示されています。(**コロナの影響で同展覧会は2020年9月12日まで延長されました)

ポール・ラスター(PL):20世紀のミニマリストの画家から21世紀の具象彫刻家にどのように進化したのでしょうか?
バリー・X・ボール(BXB):形式が根本的に異なっていても、思考プロセスと分析は同じです。人々はミニマリスト形式を厳密な思考と関連付け、対して具象的な彫刻を作ることは感情と歴史主義によってルール付けられる、まったく別の分野であると考えています。正直なところ、私はそれを、ミニマリズムから生まれ、イタリアのトレチェントやクアトロチェントの絵画など、はるか昔を彷彿させる以前の作品と繋がっていると考えています。具象的な仕事に取り掛かることは、完全な方向転換というよりは次のステップに向かうものでした。還元主義への信念を失ったわけではありません。
PL:デジタルテクノロジーを使い始めたのはいつですか?
BXB:それは私の具象的な作品を作り始めたときです。90年代半ばには3Dスキャニングについて聞いたことがあったのですが、当時は軍と映画業界でしか利用できませんでした。初期の頃、私はロサンゼルスに出かけて、主な主題として自分自身を使いました。人々が自身がポートレートでどのように見えるかを気にするは承知していたので、私は誰の気分も害さずに実験できるようにしたかったのです。ポートレートは常にアーティストと主題との踊りのようなものです。私たちは今、スペインのフィリップ4世よりも、ディエゴ・ベラスケスについて考えています。最初に自分自身を組み込み、その次に私と同じように実験に積極的な仲間のアーティストを組み込む方が簡単でした。作品に強烈さを加えたかったため、まず最初に叫んでいる私自身の頭部を3Dスキャンすることから始めました。私は頭を剃ってバーバンクに行き、特殊効果がされる場所に行きました。そこにはアーノルド・シュワルツェネッガーやブルース・ウィリスの胸像があり、彼らのプロジェクトがスキャンされていました。私はスタジオに座って、18秒間のスキャンサイクル中に叫びました。その時のポートレートが、後に私が作るすべての典型となりました。それは高度な技術によって作成されましたが、初めの頃は、型取りからモデルを制作していたので、まず作成された石膏モデルをスキャンしてデータを操作していました。そして最後に、物理的な石の彫刻を制作していました。
PL:なぜ石で作品を製作しようと思ったのですか?
BXB:最初のスキャンの直後、ニュージャージーのジョンソン・アトリエのことを耳にしました。それはおそらく、当時アメリカで最大のアート製作施設でした。ジョンソンはその後、CNCフライス盤、スキャナー、ロボットワイヤーソーの素晴らしい一式を購入してストーン・ディビジョン(石部門)を設立しました。彼らの能力を見て、ジョンソンはこれからはテクノロジーの時代がやってくると確信していたので、彼らはそれに飛び込んで行ったのです。私は、機器を使用し、それを使って作品を完成させる方法を理解した最初のアーティストの1人でした。単に業者に彫刻を発注するだけでなく、私は何日も何ヶ月もの間、機械と並んで立ち、最初からその技術に深く関わっていて、そしてその技術が石とリンクしていたのです。

PL:最初の肖像彫刻の制作中に、Scholars ‘Rocksを同時に制作しました。これらの彫刻の出発点は何でしたか、またこのシリーズからあなたは何を学びましたか?
BXB:大学を卒業した頃に私が好きだったアーティストはデュシャンでした。私は境界のない職業に就きたいと思っていました。私にとって、彼は最もオープンなアート制作方法を定義したアーティストでした。彼のレディ・メイドは、スノーシャベルや小便器など、工業的に生産されたものを新しい文脈に入れる方法で、特に印象に残っています。通常の使用方法やプレゼンテーションから取り出し、ギャラリーの台座に置くことで、そのオブジェクトをまったく異なる方法で読み取ることができるようになります。石を使い始めたとき、私が知っていたのは伝統ではありませんでした。なぜこの素材を使用するのかを考察する必要があった中で、中国の伝統的な山水景石(風景をおもわせる石。英語でScholar’s rock)について知りました。これは「天然のレディ・メイド」と言えると考えたんです。それは自然から美しい岩を選び、それを土台に置くという単純で純粋な愛好家の行為によって、まったく新しい芸術作品が作り出される。何かを見つけること、そしてそれらの自然な形をコピーすることの両方に長い伝統があります。私は岩から岩を彫るという行為の奇妙さ好むのです。
空虚な白い大理石や黒い花崗岩を自動的に選ぶのではなく、石に注意を払い、形式的に制作しているものと素材の間を行ったり来たりしながら制作を行いました。この働き方が私のアプローチの特徴です。私は、石は素材として十分に評価、活用されておらず、再検討が必要と考えていました。イタリアのカララへの最初の旅行で、世界中から積み重ねられた30マイルの石材を見ました。それは世界の石のショッピングセンターです。そして思ったのが、「なぜアーティストはこの素材をその表現の可能性のために十分に活用しなかったのだろうか?」と。それらは虹のような色が混じり合い、静脈のような模様がはしり、大小の穴があり、信じられないほどの質感を持っています。即座に石材を探求したいと強く思うようになったのですが、今でも生涯を通してもやり切れないほどの実験が自分の目の前にはあるように感じています。
PL:拷問された魂の様相で羨望の感情を捉えたGiusto Le Courtの《La Invidia(羨望) 》(1670年代)と、純潔のシンボルとしていえる、18世期のアントニオ・コルディー二ベールによる、《ヴェールに包まれた彫像》をリメイクしたきっかけはなんだったのでしょうか?
BXB:私のすべての具象作品において、自分が叫んでいる像のような極端な例を探し求めていました。ヴェネツィアのカ・レッツォーニコで《La Invidia》を見たのですが、奇妙なことに、博物館側は作品の作者が誰か知りませんでした。それは何年もの間作者不明で棚に展示されていました。そんな中、美術史学者で、私の素晴らしい友人であり、また支持者でもあるローラ・マッティオーリが、アーティストと主題を特定する手助けをしてくれました。私はその作品とコラディー二の《Dama Velata(ヴェールに包まれた肖像)》の強烈さから、その2つの作品を同じコレクションに選択しました。怒りで満たされ叫んでいる老婆と純粋な若い女性の2つが存在しましたが、私は初めからそれらをペアーとしてみていました。それらは両極端に存在するビジョンです。純潔と羨望のアレゴリーです。多くの人々は、《La Invidia》の姿はヘビの髪をした女、メデューサであると考えていました。しかし、ローラはバロック時代の芸術家が使用した偶像について述べる書籍から真の主題を見出しました。単純にいうと、この本には、嫉妬心を描写するときは、髪の毛がヘビの怒った老婆を使うように書かれているのです。その強烈な表情、石のもつ物質性、そして私が行う制作の緊張感が全て一つになっていきます。私は単純に作品に似せたものを作るので満足するのではなく、人々の心を奪うような極限までに鋭く力強い作品を作りたいのです。
PL:あなたの作品は、知識足らずの批評家によって、単にオリジナルのコピーであるとして非難されました。あなたの作品は単なるレプリカをどのように超えるものでしょうか?
BXB:私の目標は、画像やオブジェクトがどのように私たちに伝達されてきたかを扱うアプロプリエーション・アートを作ることではありません。私の作品はレイヤーにレイヤーを重ねていきます。形の特徴、石の色と石の脈、さまざまなテクスチャー(鏡面仕上げ、マット、ミリングパスマイクロフルーテッド)、時にはパターンが適用され、すべてが重ねられているのです。私の目標は、オリジナルの作品が持つ力をすべて保持させつつ、作品を完全に新しいところへ導くことです。素早く滑稽なジェスチャーをとることはしないのです。デジタルスキャンは完璧なコピーを生成します。次に、実際にそこにあるものを分析します。これはコールドデータであり、解釈ではありません。スキャナーが事実を収集し、それをスタジオに持ち帰って評価するのです。アーティストが概念的および物理的に何を達成しようとしていたかに興味を引かれます。それから私は、物事を彼らの方向に押したり、またはそれとは反対に押したりします。私は作品が作られた当時よりもはるかに幅広い素材を利用できます。制作に適用できる信じられないほどの技術により、私は先人が達成できたものを超えることができるはずなのです。私の作品が彼らの歴史的な前例と直接対立して示されるとき、私はそれが新しい作品であることを人々に説明する必要はありません。彼らは私が単なるコピーではないことを理解してくれます。

PL:リサーチが果たす役割は何でしょうか?
BXB:リサーチは作品の核となるものです。繰り返しますが、私は歴史的な彫刻からかけ離れた複製を扱ってはいないのです。私はオリジナルをスキャンして、アーティストがやろうとしていたことをすべて理解したいと思っています。私は美術史家ではありませんが、多くの歴史的なリサーチを行ってきました。たとえば、ミケランジェロの作品《ピエタ》に関して、私はそれがどのようにミラノにやってきたのかの逸話的や、その展示と再発見の全歴史を含めた、すべてを学ぼうとしました。作品に何千時間もついやすのなら、前のアーティストが何をしていたのか全てを知りたいのです。私は表面を見ているだけではありません。私は、歴史的なアーティストの作品を、テクノロジーを利用して今までにない方法で、あらゆる角度から、内側からも見ることができるという幸運に恵まれています。私の「マスターピース」シリーズのすべての前身である歴史的モデルについて、私ができるだけ多くを学ばないことは私にとっては怠慢になるのです。もう1つの例はメダルド・ロッソです。ニューヨークのザ・センター・フォー・イタリアン・モダン・アート(CIMA)での美しい展覧会で彼の彫刻に直接関わりました。そこで、CIMAの創設者であるローラ・マッティオーリと再び共同し、台座と展覧会の照明をデザインしました。私は作品に親密に関わり、新たな作品制作を準備する中、最終的にはロッソの相続人であるローラとダニーラ・マースールの助けを借りて、39作品をスキャンすることができました。
PL:肖像彫刻や他の石の彫刻を実現するために、石の選択はどのくらい重要ですか?
BXB:非常に重要です。私の作品を特徴付けるものでもありますので。ベルニーニの大理石の作品を見ると、ほとんど真っ白です。これは石そのものの色です。ミケランジェロも同じ石を使用しました。現代では、ボリビア、ベトナム、ポルトガル、フランスなど、世界中から集められた石をイタリアで入手することができます。メキシコやユタ、またはその他地域などから直接石を入手することもあります。形との協調で生まれる素材の可能性を探求しないなどということは論外ですね。私は作りたいものと、手元にある材料との間を行き来しながら制作することができる最先端技術を擁する新たなスタジオを立ち上げました。石に見られるものに基づいて形を変え、暴力、スピリチャル性、人間性、奇妙さといった作品に重要な層をもたらす石を使うことができます。

PL:そのような作品を制作する初めから終わりまでのプロセスについて伺えますか?
BXB:ヨーロッパで頻繁に作業することができ、そこの美術館で多くの時間を過ごすことができるということは大変幸運なことと感じています。まず、特に共鳴する歴史的作品を見つけだし、それにアクセスするということから始まります。次に、それを3Dスキャンし、結果の客観的データを分析して、どのように作業を進めるかを考えます。それから、作品に使用したい素材を調べます。主に石を扱いますが、金属で作品を作ることもあります。私は自分の彫刻すべてに対して石のブロックを自分自身で選択してカットします。新しいスタジオ用に注文した最初の機器は、カスタムメイドのコンピューター制御のダイヤモンドワイヤーソーで、石の地殻を切り抜き、ブロックの内部に隠されているものを明らかにできるという優れものです。そこまでの広範なデジタル操作(スキャンデータ上の彫刻データ作り)をようやく完了すると、そのデータを使用してコンピューター制御の石彫り機械を駆動します。自動車工場で見かけるような擬人化ロボットです。石を粉砕していく作業は、24時間毎日稼働する機械で何ヶ月も継続することもあります。イタリアとニューヨークのロボット会社とともに仕事をしています。その後、彫刻が私のスタジオに到着します。そこで、一つの彫刻に最長10,000時間をかけて手作業が行われます。機械では得ることができなかったアンダーカットを細かく仕上げ、磨き、彫り込み、それらの作品を私が望む最高潮のレベルにまで引き上げます。
PL:《眠れるヘルマプロディートス》をあなたの作品として再現制作しようと思ったきっかけは何ですか?
BXB:ルーヴル美術館の《眠れるヘルマプロディートス》は、芸術史上最も有名な複合芸術作品と言えるでしょう。それは、2千年以上にわたって複数のアーティストによって作成されました。もともとは紀元前2世紀のギリシャの青銅で、紀元2世紀にローマで大理石で複製されました。シピオーネ・ボルゲーゼのコレクションとなると、19歳のベルニーニに贈られ、変化を遂げます。彼は壮大なベッドを作り、それは雄雌同体の姿の堪能さをさらに掻き立てるものでした。その他アーティストで、デビッド・ラリックは、像の修復を行いました。このルーヴル美術館の作品は、複数の石を組み合わせたモザイク作品です。私のアイデアは、ここに21世紀の統合を生み出すことでした。半透明の美しいイランピンクオニキスの塊からカットされた一石彫です。私は長年この特定の石を探しました。同じのような別のブロックを見つけるには、おそらくさらに10年かかるでしょう。オニキスには、私の作品にも多くみられる、官能的な肉質の色と柔らかな半透明さがあります。私はいつも石の表面を削り取り、作品に内面から光が差しているように見せようとしています。私は、素材の難しさを克服するために可能な限りのことを行い、私の作品に空気のような精神性を吹き込みます。《眠れるヘルマプロディートス》を見ると、1人の人がしたことと、自然、あるいは神がしたことの共存を想わずにはいられないでしょう。
PL:ミケランジェロの《ピエタ》を再現した背景にはどのようなものがありますか。そして、なぜ賞賛的な意匠を加えて完成させたのでしょうか?
BXB:鏡像であることに加えて、2つの大きな変更を加えました。キリストの顔の代わりに、私はミケランジェロの肖像をそれに変えました。ミケランジェロは墓に向かう途中で戦い、作品を創造した。これが彼の最後の作品となることを彼は知っていたかもしれないし、知らなかったかもしれないが、事実、彼は自分の葬式の記念碑を彫っていたといえます。それは長い間無視され、ほとんど忘れられていた特別な作品です。それは彼が死んだとき彼の家の所蔵作品に含まれていたのですが、しかしそれは後に、ロンダニーニ家のもとにやって来て、そして彼らの宮殿の中庭に保管されました。ロンダニーニの子供たちがそれと一緒におもちゃの車で遊んでいる20世紀の写真があります。ミケランジェロの基準にそぐわないようにみえ、その場に適していませんでした。しかし、今、その霊妙な象を見ると、なぜ誰しもが見落としていたのかと疑問に思います。エル・グレコ、ポントルノ、ブロンジーノにみられるの伝統にある、引き伸ばされた宙に浮くような姿のマンネリズムの伝統を創案したのはまさしく彼でした。

そこにはネオゴシックのような精神性があります。ミケランジェロは彼の人生が終盤に差し掛かる頃、非常に信仰的になります。彼は聖母マリアに身を捧げ、彼の建築作品はサン・ピエトロ大聖堂に寄贈されました。彼はモデルなしでこの作品を彫刻していたようで、石に直接働きかけているようにし、その手法は通常彼が彫刻を制作する方法とは異なるものでした。この作品には、未加工の表面や半仕上げの表面から、非常に大まかに彫られて磨かれた曲線まで、あらゆる表現が刻まれています。まさに石細工技術のカタログと言えます。偉大な美術史家のレオ・スタインバーグは、これは他のすべての《ピエタ》とは異なると言っています。母親が死んだ息子の遺体を抱く代わりに、息子が母親を悲しみの中を支え、まるで背中に乗せているかのようだったからです。
左と右の両方からの側面図はありますが、ほとんど再現されていません。側面の構成には、非常に細長い曲線がみられ、その純粋さはほぼブランクーシ風であります。私のバージョンでは、ヴァージンが立っているブロックを排除することで、その降下していくラインをを協調したいと思いました。また、息子が彼女を運んでいるのであれば足が垂れるはずなので、私は彼女の足もぐったりさせました。さまざまなテクスチャを半透明の石に施しました。私は霊妙でスピリチャルな作品を作りたいと考え、作品はわたしのものでありながらも、ミケランジェロの彫刻が持つ全ての力を持っていることを願っていました。私は、まるで同じ作品で並んで作業しているかのように、私の刻印がミケランジェロのそれに重ねられるように、作品のロボットで削られた溝を調整するのに全身全霊を込めて制作に取り組みました。

PL:マルコ・ダグラーテの16世紀の彫刻《聖バルトロマイ》があなたの作品の良い主題になると思ったのはなぜですか、またどのようにそれを変化させましたか?
BXB:私は、世界で最も大きい教会とされている、ミラノ大聖堂の内装から初めて《聖バルトロマイ》を見ました。ローマの人物がトーガを身に着けているように見えましたが、近づいて見ると、聖者がコントラポストの位置に静かに立っていて、彼のほつれた肌が剥がれ落ちて肩に掛けられていたことがわかりました。奇妙な彫刻です。私はその驚くべき奇妙さにすぐに惹かれました。私のバージョンでは、オリジナルの姿である剥がれた頭の皮を、叫んでいる自画像に置き換えました。
マルコ・ダグラーテはミケランジェロと関係があり、彼の唯一の自画像は、システィーナ礼拝堂の《最後の審判》で聖バルトロマイの皮として描いた自分自身の姿でした。この作品の私の自画像は、過去20年間使用していたものと同じ叫び声をあげたスキャンに基づいています。それは彫刻を作った男と彫刻の主題を結びつけます。私は、長い間イタリアで石の提供をしてくれてきた、良き友であるマルコ・ロンバルディに、血まみれの、赤い肉のような石を見つけたいと話していました。石の堆積場の中を一日中運転して、彼が見つけたいくつかの赤い石の構造と色を分析しました。最終的には、フランス・ラングドックのルージュ・デュ・ロワ(王の赤い大理石)を選びました。車よりも大きい、それまでに購入した石のサイズでは最も大きい22トンの巨大なブロックを購入しました。私の知る限り、その石は彫刻に使われたことがないので、彫るのは難しいと思いました。「USDAプライム(高級ランク)」の肉のように大理石が霜降られ、白い石目があり密度も場所によって異なるため、彫刻に使用するのは非常に困難なのです。しかし、私は聖バルトロマイが皮を剥がれた肉となったその感覚を高めようとしていました。彫刻は穏やかで白い大理石以上のものを求めて叫んでいたのです。私は、ぞっとするような主題と密接に連携する素材を求めていました。
PL:これは新設されたブルックリンのスタジオで完成した最初の作品でしたか?この最先端の設備は作品制作にどのような影響をもたらしましたか?
BXB:《ピエタ》の制作は、建物が完了する前であっても、部分的に、新しいスタジオで行われましたが、はい《Saint Bartholomew Flayed(皮を剥がれた聖バルトロマイ)》は、全体を仕上げた最初の作品です。ニューヨークの小さな長屋にあった古いスタジオでは、それを実現できなかったでしょう。私は30年間、そのスタジオで多くの作品を手がけてきました。ほとんどがバストサイズ以下の作品です。しかし、大きな石を扱うには、20トンの高架橋クレーンやその他の巨大な機器が必要です。《Saint Bartholomew Flayed》は、私が今まで作ったものの中で最も激しい肉体的な彫刻作業、磨き、緻密さを必要としました。私は非常に優秀なスタッフと共に作業に取り組み、9人チームのメンバーが2つの分隊にわかれ1日に18時間、何週間も何週間も働いて、素材そのものが持つ強烈さと同じくらいのそれを作品に込めていきました。
PL:現在、ナッシャー・スカルプチャー・センターでの個展「Remaking Sculpture」をとおして、ジェド・モースがたどろうとした、あなたの芸術作品の軌道とは何だったのでしょうか?
BXB:(展覧会では)過去20年間の私の作品のほとんどの例が展示されています。完全ではありませんが、この展覧会には、初期の石の作品や、肖像彫刻、また「マスターピース(傑作)」シリーズからの最新の彫刻である《Saint Bartholomew Flayed (皮を剥がれた聖バルトロマイ)》が作品完成2週間後すぐにクレートに入れられ 、ナッシャーで展示されました。ダブリング(重複させる)またミラーリング(鏡像させる)というテーマは、《眠れるヘルマプロディートス》の2つの性別、マシュー・バーニーと私の二重の肖像彫刻、羨望と純粋、聖バルトロマイと肩にかけられた私、ローラ・マティオーリのデュアル胸像(ハードダークとソフトライト)、そして両面で絶叫する胸像のアンサンブルと展覧会全てに見られます。このテーマは、ナッシャーのコレクションである私のメダルド・ロッソ プロジェクトの作品にも及びます。ジェドは、私の作品のバリエーションを反映した美術館コレクション(およびハワード・ラコフスキーコレクション)からロッソ彫刻を選び、展示しました。ダブリングのテーマは《ピエタ》の男女の姿(ミケランジェロと聖母)と、台座の中のローマの男性と女性のカップルの姿が繰り返される点にも見られます。私の壮大な試みである「マスターピース」シリーズでは、それらの傑作をミラーリングする(鏡像させる)ことでダブリング(重複させる)を達成しています。面白いことに、それがあまりに顕著であるので、そのテーマに言及はしなかったのですが、ジェドと私が選択したほとんどすべての作品は、展覧会の趣旨にぴったりでした。
PL:展覧会に先立ってメダルド・ロッソの作品を制作したのは、ナッシャー所蔵のメダル作品と関連づけて展覧会で発表できるようにしたかったからですか?
BXB:この展覧会は約8年をかけてようやく芽が出ました。私たちが最初に展覧会について話した時に、私はちょうどロッソの作品について知り始めました。正確な順番は覚えていませんが、最終的にはロッソに夢中になったのです。私が関与したCIMAの展覧会には、彫刻、ドローイング、写真が含まれていましたが、私は主に彫刻に携わっていました。 メダルド・ロッソ作品アーカイブの管理者でもあるダニラ・マースレは、イタリアのパブリックコレクションおよびプライベートコレクションに存在する彼の作品のほとんどの例にアクセスできるようにしてくれました。最終的に、私の彫刻が一種のメダルド・ロッソのカタログレゾネを形成することを意図しています。
私の彫刻は、還元的に作られ、石から彫り出すという「減らしていく」方法で制作されますが、ロッソのものは、石膏、ワックス、ブロンズをモデル化または鋳造するという「加えていく」方法で制作されています。ナッシャーへの最初の訪問で、ギャラリーでロッソの作品を見て、ジェドは保管庫からさらに2~3作品を取り出しました。美術館の作品と一緒に私が何をしているのかを示すのは素晴らしいアイデアだと思いました。ナッシャーは通常、展示中のアーティスト(私のような)に関連する彫刻を美術館コレクションから選び展示しています。私は歴史的な彫刻を扱う作家なので、ジェドは私の作品と一緒に何を展示するかをじっくり考えました。2つの像で成るブランクーシの《The Kiss》、ジャコメッティの2つの作品を隣同士に展示するか、マティスとロダンの2つの具象的な作品、構成主義者からの近代のテクノロジー、そして トニー・スミスとリチャード・ロングの石の作品など、考えを巡らせたのです。

私の最近の美術館での展覧会では、コレクションとの関係が深く研究された上で展示されています。ベルサイユのような歴史的環境で現代の作品をただ展示することと、その場所や作品に直接リンクし、またはインスピレーションを受けた現代の作品を展示することを区別するのです。現代のフォルムと伝統的な建物を並べて身震いや摩擦を作り出すことよりは、自分が展示している場所とその中の作品についてすべてを理解し、その状況に直接対応することにより興味があります。ナッシャーでの展示は、近代彫刻との直接対話の中で私の作品を紹介する最初の機会となります。展覧会を数年間かけて実現したことで、ナッシャーのコレクションに触発された新しい作品、メダルド・ロッソのプロジェクトを制作する可能性が生まれました。ジェド・モースとジェルミー・ストリックの辛抱強さと寛大さにはとても感謝しています。私のように彫刻を仕上げるのに何年もかかるアーティストが、物事を正しく行うために十分な準備期間を与えてもらえることは稀なことですので。
PL:ロッソ作品はあなたを抽象概念へと回帰させるものでしょうか?
BXB:私の目標は、モデルをそれが何なのかとう認識が可能なぎりぎりの地点と、特に半透明の石を使用することによって、それらを純粋な抽象表現に近づけることです。ロッソ・プロジェクトの彫刻は、私がなぜ自分のスタジオを建てたのかを伝える良い例と言えます。それは、形と素材の間を行き来できるようにするためです。例えば、《Baby at the Soup Kitchen》では、崩れ落ちそうな石墨の真ん中にわずかに認識可能な乳児の顔が見られますが、これは山水景石(Scholar’s rock)と非常によく似ています。私は、天然素材を使って、最小限にしか手を加えないというコンセプトが好きです。山水景石は時に自然が与えたものに微妙に手を加え、それらをわずかにより完璧にしたり、別の見方を与えたりするものでした。
《Baby at the Soup Kitchen》では、フライス加工された大きな岩の鮮やかな赤いクラストによって裏面全体が形成されるように、フォームを拡張しました。遠方から製作者に注文することでは、同じことはできなかったでしょう。スタジオで石の美しい自然の表面を実際に見ることで、初めてそれを組み込むことができたのです。数年にわたって、彫刻を作るために、外部の業者を使用することがますます煩わしくなったのです。この距離感は、制作プロセスに直接携わるのを困難にしました。それを改善したいという私の欲望が、私の包括的な統合スタジオ設立の大きな理由でした。私はまだ特定の作品には外部の業者を使用していますが、イタリアで加工作業を行っている場合でも、その進行状況を監督するために頻繁に現地を訪れます。けれどブルックリンの“ロボット・ガイ”を使用することでそれはもっと容易になります。進行中の作業を調べるために車を10分走らせるだけです。最終的に、素晴らしいアーティストのチームを補助するロボットを現地に追加する予定です。やっと夢のスタジオが完成し、そこには素晴らしい可能性が秘められています。